私の2年日記(介護生活はじまる)
コチラの続きです。
やった人にしかわからない。介護マジ大変。
少し前から始まっていたとはいえ、初めての介護のしくみ。
どうしたらいいのかわからない。
脳にとって「わからない」とか「初めて」ってすごいストレスです。
うんうん、唸りたくなるくらい大変。
父も兄も私に任せきり。
そんな中、私のシナプスちゃん、がんばってくれました。
※そこでの親兄弟に対する気づきはコチラをどうぞ。
共感してくださる方、いっぱいいらっしゃると思います。
さて、母の退院が迫り、
自宅を介護できる環境に整えなければなりません。
幸い、夫がかつて介護施設長をしていたので
アドバイスを聞きながら話を進めました。
そもそも私が遠方に住んでいるので(往復4時間)、
平日は世話ができません。
手すりをつけたり、必要なものを揃えるため走りまわりました。
いつまで続くかわからない介護。
介護者も休まなければなりません。
時々、母を預かってもらうらため、たくさんの施設とも契約しました。
ケアマネさんや施設、そしてパニックの父から
一日中電話が頻繁にかかるようになり、電話が鳴るたびにビクっ!
夜、寝ながらも「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」と考えていて
首肩パンパン。休まらず、自律神経乱れまくりでした。
作業と割り切ればサクサクできるんですが
やはり、施設に預けられると可哀そうだなとか
親の気持ちを考えちゃう。
そこがとても苦しかったです。
数十年ぶりに両親と向き合う
この嵐が来るまでの私は、年に2回、実家に帰る程度(日帰り)。
今思えば、短時間なのでお互いあんまり嫌な面を見ないで済んでいたんでしょうね。
ところが、退院した母の介護のため
月の1/3位を実家で過ごすようになると
両親のアラが見えてくる。
「なんでそんなことするの?」とムカつく。
汚部屋にイライラする。
インナーチャイルドが騒ぎ出す。
もう大変。
親元から離れて数十年。
価値観も生き方もぜんぜん違う。
そして何より、親の老化を
すぐに受け入れられなかったんだと思います。
介護してない時は、簡単に思えていて
介護者の苦労も知らず、美しいことを述べ立てていたけれど
こりゃ無理だ! と悟りました。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」ですね。
きっとこれね、神様に「やってごらん」と言われているのは。
やらなければわからなかった。
介護者の皆さんに失礼なアドバイスをするところでした。
地球は体験の星ですね。
とにかくどんなことも体験してみよう。
転倒、転倒、また転倒!
退院した母は、まだ少し歩けたので、
自宅でウロウロするようになりました。
そこから転倒、転倒、また転倒!
アゴの下がパカーンと割れて大出血したり
腕や腰の骨を折ったり。
2時間かけて自宅に帰ってきたのに
ケガで呼び戻されトンボ帰りとか。
一度、病院に行くと何度も通うハメになり、
田舎なので病院も遠く、毎回クタクタに。
もう家での介護は限界、と感じていましたが
母本人が施設入りを拒んだので大変でした。
父と私は心配で毎晩目がバッキバキ。
心配で眠れません。
寒い冬、室内は氷点下。
夜中に母がトイレに起きて、
廊下をおしっこで濡らしながら歩いているのを
這いつくばって拭いたりもしました。
しっかりしていた母が老いる悲しさを感じながら。
精魂尽き果てるって
こういうことだなーと実感しました。
神様。もうわかりました(笑)!
汚部屋との戦い!はこちら。
◆実家の断捨離日記
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