産土神社リサーチOffice Tamanegi

私の2年日記(母と向き合う)

私の2年日記(介護生活はじまる)


こちらの続きです。
 
 
今、嵐から抜けて思います。
この2年を与えられたことで
自分や両親のこと、人間の一生の色んなこと
理解することができたって。
とても貴重な経験をさせてもらったなって。
 
 
教科書で読んでいただけのペラペラな話が
体験することで立体的になった、という感じでしょうか。
 
 
この体験後に、世の中を見ると
今まで見えていなかった深い所にも
理解が行き届くという感じです。
 
 

母との魂の契約

今思えば、母はコミュニケーション下手だっただけなんですが
ヒステリックで、ストレスをすべて私にぶつけてくる人でした。
私は幼い頃から「母のゴミ箱にされている」
といつも感じて悲しんでいました。
 
 
でもそういうことがあったからこそ、
見えない心の世界を探求する道に進めたと思います。
これは私と母の魂の契約だったのかもしれません。
 
 
鬼のように怒っていた母が
どんどん弱って、色んなことができなくなっていく。
 
 
私としては、母に優しくされた記憶があまりないので
最初はとても抵抗がありましたが
できる限りやろう!と決めて世話をしました。
 
 
最初は、手をつなぐのもかなり抵抗がありました。
(どんだけー(笑))
 
 
でも、触れ合ってるうちにわかってきました。
母も私も愛を求めてたんだなーって。
 
 
この2年は、ハートにぽっかり空いていた穴
埋める期間だったと思います。
 
 
母は色んなケガや病気を使って
「自分が愛されてるか」を
無意識のうちに確認しているかのようでした。
 
 
私は思いつく限りの方法で、母の世話をしました。
( 自分が母に優しくしてもらったことがないから、
  最初はどうしたらいいのかわからなかったわ(笑))
 
 
幸い、家事力、コミュニケーション能力はある方なので、
ご近所、親戚、ケアマネさん、病院など
あらゆる方面に神経を張り巡らせ、
山のような問題をバシバシ片付けていきました。
 
 
だんだん母が「こんなにいい子、他にはいない。」
と言ってくれるようになりました。
 
 
母の愛のタンクは満ち始めました。
 
 

会えずに思いは募る

やがて、母はショートステイ先でコロナに感染し、入院。
不眠が続いていた私は、倒れるように眠りました。
 
 
医師から「お母さんの状態からして、自宅での介護は無理ですよ。」と言われ
そのままリハビリ入院。
しかし、のどの筋力の衰えが止まらず、
食事に介護が必要となり、そのまま老健へ入所しました。
 
 
この老健の面会がとにかく厳しくて、
2024年なのに、直接会わせてもらえませんでした。
ずっとガラス越し面会。
ふつうはもう、お部屋も自由に行き来できる時代なのに
田舎の施設だからか、2年前くらいの対策のままでした。
 
 
どんどん弱っていく母を、さすってあげることもできず
動物園みたいに、ガラスの向こうに手を振るだけ。
( iPad、渡されても年寄りに操作はできず)
そばで直接触れ合えるのが
いかに幸せだったのか、気づかされました。
 
 
それがつい最近まで、10か月続きました。
 
 

今度は父親

今度は一人家に残された父親との対峙です。
これがまぁ、ひどい(笑)。
 
 
「今まで父は私の前で、いい恰好をしていたんだ・・」と気づきました。
 
 
「これかー母が怒っていたのは・・・」
何十年も経って、父の本性(笑)を知ることになりました。
父親像は地に落ちました~ワハハ。
 
 
今は手のひらで転がせるようになりましたが
色んなバトルが起こることとなります(笑)。
 
 
つづく。
 
 

上に戻る